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札幌地方裁判所 平成6年(ヲ)765号 決定 1994年7月08日

申立人

甲野春子

代理人弁護士

原敦子

主文

本件申立てを棄却する。

申立費用は申立人の負担とする。

理由

1  異議申立ての趣旨

本件申立ての趣旨は、「札幌地方裁判所執行官は、申立人の乙川太郎に対する執行力のある債務名義(札幌家庭裁判所平成五年(家ロ)第二〇一五号子の引渡仮処分申立事件における審判書)の正本に基づく強制執行を実施せよ。」との裁判を求めるというものである(なお、上記本件申立ての趣旨は、その前提として、札幌地方裁判所執行官が平成六年六月一四日付けでした強制執行申立却下の執行処分の取消しを併せて求めているものと解される。)。

2  異議申立ての理由

本件申立ての理由は、要するに、①子の引渡はその性質上強制執行を許さない性質のものではなく、広島高松江支部判昭和二八年七月三日高民集六巻六号三五六頁や大阪高決昭和三〇年一二月一四日高民集八巻九号六九二頁によれば、直接強制が可能となるはずであり、その必要性の観点からみても、基本事件債務者乙川太郎は本件強制執行の目的である幼児甲野A男(平成三年一一月一四日生。以下、「本件幼児」という。)を連れて所在を不明にするおそれがある。②近時、最高裁判所平成五年一〇月一九日判決は、夫婦の一方から他方に対する人身保護法に基づく幼児引渡請求につき、拘束の顕著な違法性を肯定するには、拘束者による幼児の監護が子の幸福に反することが明白であることを要する旨判示したため、子の引渡につき、人身保護手続を利用することが事実上絶たれたというべきところ、上記判決には、子の引渡については、家事審判法一五条の三及び家事審判規則五二条の二による審判前の保全処分の活用の方途を指摘する補足意見が付されているが、上記方法の実効性を確保するには直接強制による強制執行を認めるべきである、というのである。

3  当裁判所の判断

そこで、以下、一件記録に基づき検討する。

(1)  基本事件における債務名義の性格

基本事件たる強制執行申立て(以下、「本件強制執行」という。)は、平成五年(家)第一三九一号親権者変更申立事件を本案としてなされた平成五年(家ロ)第二〇一五号子の引渡仮処分申立事件の審判書を債務名義とするものであり(以下、「本件債務名義」という。)、その主文には、「相手方は申立人に対し事件本人甲野A男を仮に引き渡せ。」との記載がある。この主文によると、本件債務名義は、基本事件申立人が本件幼児の引渡請求権を有することを前提とし、あるいは、形成的裁判により暫定的に引渡請求権を付与したもののようにみえ、この種事案における裁判実務上の従前の取扱いとしては、債務名義上の表示として「引き渡せ」という文言が用いられてきている。

しかし、いわゆる幼児の引渡請求というも、その実質は親権行使妨害排除請求と解すべきであり(最判昭三五年三月一五日民集一四巻三号四三〇頁、最判昭三八年九月一七日民集一七巻八号九六八頁参照。その意味で、本件においては、親権者たる地位の暫定的形成と親権行使妨害禁止の不作為命令とを内容とする仮処分命令が事案に適する債務名義の形態であると考える。)、本件債務名義における前記主文の記載をもって直ちに引渡請求権を肯定する趣旨のものとは解することはできない。

(2)  強制執行の可否

上記のような本件債務名義の性格からすると、その実質は親権の行使についての妨害排除ないし妨害禁止という不作為命令にあると解されるから、かかる債務名義表示の請求権実現の方法として、間接強制によることは可能である。そして、間接強制による場合には、幼児の人格尊重の理念と抵触するおそれはなく、他方、強制執行の現実的必要性もあることから、これを許容すべきことに疑いはない。

(3)  直接強制の可否

それでは、申立代理人が主張するごとく、その実効性確保のため、あるいは、紛争のより直接的解決のために、直接強制による方法が可能であろうか。

本件債務名義は、前記(1)から明らかなとおり、家事審判法一五条の三及び家事審判規則五二条の二による審判前の保全処分として発令された仮処分命令であるところ、その執行について、家事審判法は、「民事保全法その他の仮処分の執行……に関する法令の規定に従う。」としているのみで(同法一五条の三第六項)、何ら特別の執行方法を規定しておらず、これを承けるべき民事保全法五二条一項も、「仮処分の執行については、……強制執行の例による。」とするに止まっている。とすれば、執行官が本件強制執行を執行官法一条一号事務として遂行し得るか否かは、結局のところ、民事執行法に基づいて幼児の引渡執行をなし得るかという点にかかっていることになる。

民事執行法上、執行官が執行機関とされている引渡執行のなかで、本件において利用可能な方法としては、動産の引渡執行(民事執行法一六九条)以外には想定できない。本件において、申立代理人が本件債務名義に基づく引渡執行を執行官に対して申し立てたのも、かかる理解に基づくものであろう。

しかしながら、一般に引渡執行は、執行官が債務者の目的物に対する占有を解いてこれを債権者に引き渡す方法によりなされるものである(構学上、いわゆる「与える債務」についての強制執行方法とされている。)から、そこには債務者による目的物に対する排他的全面的支配関係が存在することが前提である。そして、引渡執行が許される実質的根拠は、目的物に対する債務者の支配を解いてそれを債権者に引き渡すことにより、債務者と目的物との関係を債権者と目的物との関係に置換することが可能であることから、国家が強制的にこれを実施しても債務者の人格尊重の理念に抵触せず、かつ、最も効果的な方法であることに求められると考える。そうだとすると、たとえ幼児であってもそこには人格の主体もしくは少なくともその萌芽を認めるのが相当であって、その引渡執行を許容するときは、親の子に対する占有ないし支配関係なるものを想定するのと同一の結果をもたらすことになり相当ではなく(本件では親権者の意思をも無視することにもなる。)、物と幼児とを同一視することはできないというべきである。しかも、この種の強制執行申立ての実質は、債務者と幼児との間の人格的接触と債権者と幼児との間のそれとの異質性を前提にしたうえで、債務者と幼児との人格的接触を遮断するとともに、債権者と幼児との間の親子の人格的接触を暫定的にせよ確保しようとするところにあると解されるのであって、人格的接触が本来的に相互交流的性格を有することからすると、幼児の引渡によって、債務者と幼児との関係と同一の関係を債権者との間で実現することにはならず、これを強制的に行うとすれば、もはや国家機関による強制的実現の許容性の範囲を逸脱するといわざるを得ない。

これに対しては、家事審判法が仮処分命令に関する規定を設けながら、その執行に関する規定をおかなかったのは(特に、同法一五条の三は、昭和五五年法律第五一号による家事審判法の一部改正によって新設された規定であり、これを承けて設けられた家事審判規則五二条の二とともに、実効性の高い保全処分であることが期待されていたことは、立法当時の資料等から明らかである。)、あるいは動産執行に「準じて」なし得るという理解がその前提として存在していたと考える余地もなくはない。しかしながら、執行法規が、執行機関の活動に確実な基礎と明確な枠組みを与えているというその存在意義と機能に徴するならば、執行機関がこれを解釈運用するにあたっては、形式的画一性を重視すべきであって、むやみに拡張ないし類推をすべきではないと考える。もちろん、当裁判所としても、執行機関が法律を解釈運用する際において、合理的裁量権行使の必要性や目的論的解釈の必要性及び合理性をも否定するものではないが、これはあくまで規定が存在する場合の解釈運用に関するものであって、執行の本質が国民の権利等に対する制限ないしその剥脱にあることに鑑みると、執行機関としては、規定の存在しない分野に踏み込んでその権限行使を行うのには極めて慎重にならざるを得ないと考える。したがって、民事執行法上、幼児の引渡を許容する明文の規定は存在しないといわざるを得ない以上、子の引渡を直接的に求める執行は許されないというべきである。

また、子の引渡を認める裁判に際しては、親権者とそれ以外の者とのいずれの監護下におくのが子の幸福に適うかにつき慎重に検討されているはずであり、それによって子の利益のために引き渡すべきものと決まった以上は、執行機関としてはそれを現実的に実現することこそかえって幼児の人権や人格を尊重することになるとの反論も考えられる。しかし、この点も法改正の必要性に関する議論にはなり得ても、現行法下において動産執行に準じて幼児の引渡執行を認めるべきであることの積極的な基礎づけとしては十分ではない。

更に、申立代理人は、前記大阪高決昭和三〇年一二月一四日が「直接強制の方法によることが一般道義感情からも又幼児の人権尊重の観点からも是認せられる場合においては直接強制の方法によるべきである」旨判示している部分に依拠して、本件においても直接強制が可能である旨主張する。しかし、代理人の指摘する部分は、間接強制が原則的方法である旨を判示する際の傍論にすぎず、かつまた、上記判示部分は、「例えば乳幼児が不法に拉致誘拐せられている場合の如く」に続けて述べられている部分であって、本件では、申立人が札幌家庭裁判所に対し親権者変更の申立てをしていることからみて、本件幼児は現在のところ親権者のもとにおいて養育監護を受けている状況にあることが認められるから、本件とは事案を異にし、本件を検討するのに適切な裁判例ということはできない。

加えて、最三小判平成五年一〇月一九日家裁月報四三巻一〇号三三頁は、人身保護法に基づき、共同親権に服する幼児の引渡を請求した事案につき、前記2②で申立代理人が要約している判旨部分の前提として、幼児に対する監護が親権に基づくものである場合には、特段の事情のない限り、適法というべきである旨判示している。上記最判は人身保護法に基づく請求事案であり、かつ、直接には人身保護規則四条の拘束の違法の顕著性に関する判示である点に本件との差異を見出すことができるものの、本件もまた、親権に基づく監護領域からの幼児の実力的奪取を意図している点においては全く同様であるから、結論を導く前提として上記判旨に示されているその精神は、本件においても妥当すると解される。したがって、かかる意味においても、明確に許容する規定のない限り、直接強制による執行は許されないというべきである(なお、最三小判平成六年四月二六日裁判所時報一一二二号七七頁が、前記平成五年一〇月一九日判決を引用したうえ、人身保護法により幼児引渡を求め得る場合につき、「拘束者に対し、家事審判規則五二条の二又は五三条に基づく幼児引渡しを命ずる仮処分又は審判が出され、その親権行使が実質上制限されているのに拘束者が右仮処分等に従わない場合がこれに当たると考えられる」旨例示していることからみても、仮処分の執行方法としては、直接強制は予定されていないというべきであろう。)。

(4)  結論

以上のとおり、親権行使妨害排除請求権の実現のための強制執行の方法としては、間接強制による場合は格別、直接強制を許容するという見解(前記広島高松江支部判昭和二八年七月三日)は、当裁判所の採用しないところであって、動産の引渡執行あるいはこれに準じた方法で幼児の引渡を求めるのは、現行民事執行法のもとでは許容されないというべきであり(したがってまた、本件申立ての理由中、実効性確保の必要性のみをいう部分も失当であるといわざるを得ない。)、これと同旨の執行官の申立却下の執行処分は正当として是認できる。

よって、本件申立てには理由がないから失当として棄却することとし、申立費用につき民事執行法二〇条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官藤田広美)

《参考・基本事件》

平成六年(執ハ)第三五号

債権者 甲野春子

代理人弁護士 原敦子

債務者 乙川太郎

主文

本件幼児の引渡し執行の申立を却下する。

理由

1 申立及び裁判の内容

本件申立及び裁判の内容は、別紙「強制執行申立書」及び「審判書」(抄)各写に記載のとおりである。

2 判断

執行官の職務については、執行官法一条が総括的にその内容を明らかにしている。これによると、執行官が取り扱うべきものとされている事務には、民事訴訟法、民事執行法その他の法令の規定中において具体的に定められているもの(執行官法一条一号)と、特に法令において執行官がその事務を取り扱うことを定めてはいないが、裁判において執行官が取り扱うべきものとされていることにより執行官の事務となる種類のもの(執行官法一条二号)とがあり、執行官は原則としてこれ以外の事務を取り扱うことはできない。

そうすると、本件申立ては、執行官法一条各号の規定による執行官の職務とはならない事務についての申立てであるから不適法であり、また、本件執行が民事執行法一六九条に規定する動産引渡し執行に類似する事務であるとして本件申立てを拡張解釈することも、幼児とはいえ(意思能力がない場合であっても)、物の引渡しと同一視すべきではないと判断した。

平成六年六月一四日

札幌地方裁判所

(執行官 山崎利夫)

別紙 強制執行申立書<省略>

別紙 審判書(抄)

平成五年(家ロ)第二〇一五号子の引渡仮処分申立事件

(本案 平成五年(家)第一三九一号親権者変更申立事件)

審判

申立人 甲野春子

申立人代理人弁護士 原敦子

相手方 乙川太郎

相手方代理人弁護士 大和田義益

同 本間裕邦

本籍 申立人と同じ

住所 相手方と同じ

事件本人 甲野A男

平成三年一一月一四日生

主文

相手方は申立人に対し事件本人甲野A男を仮に引渡せ。

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